人類が世界に広がっていく過程で、変化の早いミトコンドリアDNAは突然変異を起こし、次々に新しいタイプを誕生させていきました。

この新たなタイプを持つ女性が多くの子孫を残すと、その変異は集団の中に固定されて広がっていき、その子孫の中からさらに新たなタイプが誕生していくことになります。
研究者は、この一連の変異を持つグループを ハプログループ という専門用語で呼んでいます。

「ハプロ」 というのは 「半数の」 という意味をもつ遺伝子の用語で、ミトコンドリアDNAでは母方のみが子孫に伝達されるので、この名称がつけられています。大まかには同一のハプログループを持つ人間同士は、数千から数万年母系をさかのぼると同じ母親にたどり着くと考えてよいでしょう。

ハプログループには地域性があるので、その分布を鍵に集団同士の類縁性や、人類の拡散の様子を知ることができます。一般に集団の中で特定のハプログループの占める頻度が他の地域よりも高く、またそのハプログループ内での多様性が大きいときに、その地域を起源地と考えることができるのです。

次ページの図 「アジアに広がる日本人が持つDNAタイプ」 は、このようにして日本人が持つハプログループの起源地を推定したものです。これを見ると日本人のルーツは大陸の 広い地域にあることがわかります。

大きく分けると ・・・
■ 東南アジアに起源を持つもの
■ 大陸中央部に起源があるもの
■ 北東アジアで誕生したもの
■ 日本以外の地域でははあまり見られないもの

日本固有のハプログループは、大陸のどこかで起源したものの、そこでは子孫を残すことができず、日本列島にたどり着いた集団の中だけで、その数を増やしていったものと考えられます。

東アジアにおける人類の拡散は、4万年ほど前の東南アジアからの集団の北上にさかのぼります。
東南アジアに起源するハプログループは、この流れの中で日本列島にたどり着いたものでしょう。

また北上集団の中では新たなハプログループが誕生していったはずで、実際に大陸中央に起源するハプログループの誕生時期を計算すると、東南アジア起源のものよりも新しいことが知られています。これらは揚子江中流域で開始された稲作農耕によって人口を増やした集団のメンバーがもっていたハプログループであり、弥生時代に渡来した集団の主要なハプログループであったと考えられています。

さらに北東アジアに進出した集団の中には誕生したハプログループには、今から2万年ほど前の氷河期の最寒期にシベリアから北方ルートを通って、日本列島に北から進入した集団が持っていたと考えていいでしょう。日本列島にさまざまな時代、地域から到来したハプログループは、長い時間をかけて現代日本人を構成していくことになったのです。